子供のしでかした事は大人の責任論


仕事の用事で子供を連れて兵庫県庁へ。兵庫県庁はもうじき150周年。誕生日が自分と同じでびっくり。なんの因果なのか。

帰りがけ、喫茶店に寄って、子供に何のみたいか聞いてみたらイチゴジュースと言ったのでイチゴジュースを注文。半分も飲まずに遊び出す。2歳というのは絵に描いたような自由人である。

最近、ご飯を作って出しても自分の嫌いなものが入ってるのを見かけると問答無用で摘んでは床へポイ。そうなるのがわかってるからこちらも問答無用でミキサー処理。何が入ってるかさっぱりわからないシチューとかになる。自分が嫌いなものが入ってるとも知らずに

『うまい!』

と言って食べてる姿はなかなか滑稽なものがある。

最近、芸能界の二世タレント的な輩が色々やらかしてはすっかり年老いて高齢者になった親がごめんなさいという光景をしばしば目にする。

しかし、同じような事件を二世タレントじゃない輩がやらかすと親の責任だ!とは言われない。摩訶不思議現象であるなぁと。

親の子育ては、親も子も、法的やら慣習的やらには20歳までかも知れないが、現実にはどちらも生きてる以上一生続く。最初子供は0歳でも、20歳になり、30歳になり、40歳になれば40歳の子育てがある訳で、いつまでも未体験ゾーンの子育てが続く。
一体、どこのラインで子育てに成功とか失敗とか決めるのか。いつまでも経過途中なのに。

結婚式とかでよくある新婦による感動のお手紙的なやつでうちの子は最高に素敵な子供に育ったと涙した親御さんたちはその後離婚したら手のひら返るのだろうか。その現場を見ていないのでなんとも言えないが、どのラインか問題はラインがあやふやなままなので迂闊に素敵な子供認定すら謎にリスクめいている。

まだ子供側が30代未満くらいだったらともかく、60過ぎた時に80、90の親がごめんなさいとかになったら見聞きしてるこっちがごめんなさい勘弁したってという気にもなる。

よくよく考えると、
『子どものしでかした事は親の責任だ』
と言える立場(在り方)というのは、

◆親は子供をしでかさない子供にすることが可能

というのが前提にないと言えない台詞であり、

◆子供は親の言う通りにコントロール可能である

と同義とも言える。ということは、自分自身でさえも親にコントロールされてよしという人達ということになりますな。すごい人達ですな。

とりあえず現状の我が子を見ていると、とてもじゃないがコントロール不能であり、コントロールできるもんなら1秒でも早く好き嫌いをなくさせ片付けができるようになってもらいたいもんだが、一向にその気配はない。

奥様がいないことをいいことに見られていたら確実にドン引きされる勢いで怒ってみたり、鬼の形相でパンチ力5g程のアンパンチを繰り出してみるもケラケラ笑ってるので打つ手なし。あきまへん。

これからどのタイミングでコントロールできる時期がくるのか全く見えない毎日が続いているが、もう早くも絶対にコントロールできないしコントロールしようとすること自体がアホくさいし疲れるだけというマインドセットになりつつあるし、ってかもうなってるし、別にコントロールする気もないし好きなように生きてってくれという感じやし、自分も縛られたりコントロールされるのが死ぬほど嫌いなもんだからコントロールしないのがある意味対等な関係でありある種の友達めいた対等な関係性で関わり始めた時点からもう全ては各自の責任でいいような気もするし、もちろんとはいいつつ親として何かあったら助ける心づもりでいる訳なんやけど、
コントロールしていると親の思惑以上の子供にならない訳だからこれからの未来の子供らは親を超えていかないちっぽけな人間を量産してしまうような気もするから、
まあ、
眠すぎてよくわからなくなってきたから、
とりあえず今夜はここのところ無意識で無慈悲な掛け布団争いのあげくお互いの体力異常を起こし合うという親子戦争に終止符を打つべく対策を施したところでおやすみなさい。