下関市と丹波市の共通点


日曜日、下関市川中地区からご依頼いただいて下関市へ。前入りして土曜日から。
講演は用意されていた300席がほぼ満席で、盛大に丹波自慢をしてきました。下関市は大学の時の家族旅行以来で15年ぶりくらいでした。

懐かしの唐戸市場。雰囲気は全然変わってない。でも、人の数と、しかも外国人の数が半端なく増えてる。中国人や韓国人がやたら増えてるのはもう日本全国的なもんなんでしょうな。大阪もだいぶ毛色が変わったし。

昔あのへんから家族で巌流島に渡ったんですな。懐かしい。

ってかもう、しがないただの地方の一市民の話聞くのに300人も集まれるんだったらもうこの300人でなんでもできますやんかって思う。だってこの地区の人数の100分の1でっせ?丹波市民が同じような講演で600人集まるとか全くイメージつかんし。100分の1集まるって相当すごい。

毎回思うけど、こうして他の市区町村から話を頂くと必ずといっていいほど『なんで俺なんやろ?他にもっといい人いるでしょ?』と思ってしまう。

特に今回の下関市の川中地区(新下関駅の西側)は丹波市と違って完全に都市やし、環境が違いすぎてほんま役に立てんのかなって疑問がずっとぬぐえなくて。なので前日入りして現地案内して欲しいとお願いして土曜日一日案内してもらって、夜懇親会ひらいてもらって現地の人の話を色々聞かせてもらって。

『ああ、確かに今回は俺かもしれん』

久しぶりに飲んだビールで意識朦朧になる中宿についてそう思えてから資料の作り直しに着手、26時頃に仮眠、29時に起きてオチにめがけて修正し、完成したらもう32時笑

あまりにも直前すぎたせいで1時間半やと言われていた講演時間を大幅にオーバーして2時間ぶっ通し、質疑応答の時間皆無という悲劇。いやあほんと、失礼しました。やらかしました。最近年なのか時間通りに話を終わらせることができません。時間が決められた場が苦手になってきました。

そんなこんなで結局二日間を通して、最初は全然違うと思っていた両市がまあまあ似ていることに気づいてきて。

◆下関市でも恐竜の卵が出土している
https://mainichi.jp/articles/20170606/k00/00m/040/040000c
最近丹波市はあちこちと恐竜PRでの連携協定結んでいるので下関市とも何かできるかもしれませんねえ。
http://tanba.jp/modules/phototopics/index.php?content_id=433

◆丹波市も下関市も今から50年後には人口が半分になる
どこも同じなんですな。でも、丹波市でも今どんどん若い世代が入っていってる柏原町と氷上町(石生エリア)はきっとずっと安定して人数がいて、それは下関市では川中地区がそう。全体的に人数が減っていくのに人数がキープされるエリアというのは、市内の人から求められているニーズはめっちゃ明確で“より便利に、より暮らしやすく”といった、およそ都会の街中エリアに近い感覚やと思う。地元民の意見とは違うかもしれないけど、それもあと30年経ってしまえば世代が交代してしまうので考え方も総入れ替えになっていくのが世の常。その際、上の世代は色んなものを遺したいと考える。若い世代は不要なものは捨て去りたいと考える。上の世代が遺したいと思っているものが真に後世の役にたつものでないと絶対に遺らない。諸行無常で町の主役世代は常に入れ替わっていく。なので今できる最大の手は腹わって話合うことかな、飲み会が一番いいと思う。

◆ゆめタウン(だけでもなく大手スーパー全般)界隈の小規模商店がいっぱいつぶれまくる
消費者のニーズが一カ所に集まるから消費者にとっては便利といういい面もあれば周辺の小規模商店がいっぱいつぶれまくるという悪い面も両方あるわけで、最終資本が市外にあるならやっぱり市内のお金は市外に流れるし、つぶれているといっても中に入る商店もあるし自然淘汰といわれればその側面もあるしどうなんでしょうね、というのは結構どこも同じかな。

◆ゆめシティ北側と丹波のゆめタウン界隈の空気感似すぎ
同じように田んぼと畑しかなかったところに立って、違ったのは電車の利便性。丹波市でもJRが伸びていたり複線化してたら同じ状況になっていたかもしれない。交通の便というのは町の風景ごと変えていきますな。

下関市のゆめシティ北側は丹波市のゆめタウン界隈とそっくり。でも、

南側はすっかり最近の住宅街と化している。

◆下関市は全般通して兵庫県に似てる
海もあって山もある、でも本拠地(下関市は市役所、兵庫県は県庁。見た目も規模感も似てる笑)はめっちゃ海沿いにあって、山間部の衰退がすこぶる激しい、でも本拠地も人口減少中(兵庫県も全国ワースト2位の転出超過)等々。

◆人口の集中の仕方が似てる
下関市は向こう50年間くらい南側の新下関駅界隈の人口はそんなに減ることなく人口過密が見込まれている地域であり、丹波市も近年もっぱら氷上町の石生らへんや柏原駅周辺の割と都市化(丹波市の場合は都市化というよりは駅が近くで公共交通の便と生活環境の便がいいって感じやけど)しているところに人口集中していて、やっぱり便利なところに人は集まってくるし、未来永劫行政が黒字であればそりゃ人が全然住んでいない周辺地域でも開発が行われるんやろうけど赤字になったり予算がなくなってきたら予算の投下先として今現在集中しているところを選択するというまあ当たり前と言えば当たり前の対応をしていくのでそのあたりもよく似てる。

町の成り立ちが似てるところ同士じゃないと、いくら話合っても何の参考にもならない。それが丹波市でもよく起こってる現象。最小単位が各「集落=村」。集落が何個か集まってる小学校区ごとの集まりが「地区」。地区内には複数の集落が所属しているけど、いくら隣り合っている集落といえど、もってる財産も違えば環境も資源も人の数も全然違う。全然違うのに地区毎に集まって話合いをしたり市から補助金等もらってる関係から何か一緒にしなきゃいけないことがあったりと、本来全然毛色が違うもの同士で何かしようと言ってもなかなか話が前に進まないのは、そもそも論でいくら近隣といえど全然違うからだと感じている。なのでたとえ他市に渡ろうが、同じような環境下にある集落や地区ごとで話し合いをする方がよっぽど有意義になると思ってる。

◆新興住宅地において従来の自治会運営手法が困難になってくる
ここ数年間でガンガン新しい人が入ってきているエリアになってくると、従来の自治会がやってきた取組がどうとかそういうしがらみは全くないので、いらないと思ったらいらないし不要と思えば不要とぶった切れてしまうので折り合いがつかない場合があったり、新旧対決みたいな構図ができあがったりするのは結局どこも一緒。もうちょっとさかのぼって団塊の世代が大量に入り込んできて都市化を形成したみたいなところがある歴史背景からするとこの点だけは三田市の方が下関市ともっと色々話があうのかもしれない。

等々。

最終的にはこちらが勉強になりましたということで、今後の色んなことを考えていく上でほんといい機会いただきましてどうもありがうございました。

でも、そうはいいつつもこう講演の依頼をいただいていくとこれもいつも思うところで、本当は“講演してほしい”というのは、講演することを通じて何か変えたい現状や問題があるわけで、それを考えると講演じゃない方がいいんじゃないかと思ったりもして。

こちらも決して講演だけが全てという気持ちはなく、何か困っていてそれをこちらで何かできる余地があるならお手伝いしたいと思っていて、時間的余裕なんかがもっとあれば一週間くらい滞在して一週間でとにかく決めた課題をクリアするとか、もっと別の手段もあっていいのかなあと。

あとやっぱり、2年程前に丹波市でも色々やる人が増えてきて、テレビで見るようなオリンピック選手や野球選手、芸能人やらも大体色々やってる人が自分より年下になっていく感覚を受けた時に“ああ、もう自分が全面にたってやってく時代も終わりだな”という感じがもう前に立つのやめよう、人前にでていくのやめようと思ってまずはいい絵面にならないようにしようと頭剃ってみたりしながら人の応援に回ろうと思ってやってきたのにこうして声がかかるというのはまだまだ応援力が足りてないのだなと自分の力不足も感じつつまあでもそれでも声をかけて頂くというのはそれは結局そこが自分の活きる場でもあるし、これまでと比較したらまあ随分減ってきているからよしとするか。

先週までずっと報告会に回りまくったりして年度末の多忙さがピークに達していた移住相談窓口業務ももう会社としては終わることだし、今年は4月以降を目処に役にたてそうなところで市内にとどまることなくこうして色んなきっかけをいただきながら丹波市でやってることがよそでも通じるでっていう証拠も今後は他市でも量産していけるようになればええかな。