里山ようちえん“ふえっこ”の素晴らしさ


里山ようちえん“ふえっこ”の今年度最終日ということで、家族総出で参加。

ふえっこ自体は丸二年。うちの子供を通わしたのは今年度から。
ほぼ毎週、年間50回くらい開催されているこのふえっこ。親子保育という位置づけなので、子供を預ける訳ではなく、母親か父親も子供と一緒に参加し、里山で遊ぶというもの。

そのうち、今年は5回くらいは参加してきた訳だが、ふえっこのいいところは究極どこだろうかと考えると、ママさんたちがとてもいい顔してるということだと感じている。

ふえっこは特殊なネットワークだと思う。やはりこのご時世、子供を里山でのびのび育てたいなんて考えている人達というのは全体的に多くはない。丹波市生まれ丹波市育ちの同年代の親というのは基本的に自然で遊ばせないところが多い。実際に同年代の親達やその親と接し話を聞く感じそうだ。

我々30代の親世代までは、子供の頃は川で魚を釣って遊んだり、山に虫を捕まえにいって遊んだり、周囲にある自然と触れないながら育った人が多い。だがバブル前後の経済成長に伴い、ファミコンというキラーコンテンツが家庭内にねじ込まれた事に加え、やはり自然の中で遊んでいた子供らの中には害虫等に襲われ大けがをしてしまったり、川に流されたり、それなりの危険と常に隣り合わせであることから大変な目にあったことを教訓とし、いつしか

「山は危険だから遊びにいったらあかん」

「川は危ないから入っちゃダメ」

と、自然から遠ざかるよう遠ざかるよう、子供らに言い聞かせてしまうようになった。今の子供達というのはもう、二代渡って自然に近づくなと言われて育っていると言っても過言ではない。

同年代の親は今、子供を育てるにあたり、どんな環境が欲しいかと言えば、

「子供たちを安心して遊ばせることができる公園がないから公園つくってほしい」

こう考えている親が多いのだ。市議会議員になろうと立候補した際あっちこっちから言われた俺が言うんだから間違いない笑

話を戻そう。
ふえっこのママさんたちはふえっこ参加中、とてもいい顔をしている。内心は子供たちが楽しめるようにあんなことをしようこんなこともしようという考えで頭がいっぱいだから、本人達はいつも「子供たちが楽しめるように」「子供たちの為に」と考えている。

子供達のことを第一に考えているから、自分達のことを落ち着いて見ている余裕はないと思っているかもしれないが、そんな時にとてもいい顔しているのだ。

だからふえっこというのは、子供達の為の里山ようちえんに思えて、実際のところはママさんたちも子供たちの為に色々やることを通じて自分達にとっても充実している時間を過ごせているのではないかとそばで見ててひしひしと感じる。

そういう意味でふえっこは、決して子供だけの保育ではなく、親であるママさんたちにとってもいい体験になっている。

うちの家庭で考えても、この一年間で嫁さんはとてもたくましくなった。

例えば虫嫌い。以前までは虫がでたらわーわーゆうてやっつけてくれと毎回依頼してきていた。俺が家にいない時もわざわざメールくれて「虫がでました」と。どないせえっちゅーねんという感じだったが、ふえっこに通い始めて半年程たったころか、家に帰った時に「そういえば今日ゲジゲジでたわ」と。それどないしたんか聞いたらしばいたと。この日を境に、どんな虫でも平然としばけるようになった。もうやっつけてくれなんていう依頼はかれこれ聞いてない。

なぜだか、普段の日常生活においてママさん同士の集まりの中で、ママさん同士の愚痴の言い合いがなんか嫌いとかいう声をしばしば耳にする。子育てってのはどうにもこうにもストレスもたまるもんで、旦那に対しての愚痴だとか、子供に対しての愚痴だとかをついぶちまけ合う場になりがちなもので。
それはきっと、矛先が自分に向いた集まりになっているからだと思う。
ふえっこがそこらへんのママ会とは一線を隠すものはこのポイントだろうと推測する。矛先は子供たちに向けつつ、それを通じて自分の為になっているというこの循環がふえっこをとても健全な場に保っている仕組みとして機能しているように感じる。

子供を自然の中で遊ばせるというのは、最初は神経を使うと思う。

蛇がでてくるんじゃないかとか、スズメバチが襲ってくるんじゃないかとか、色んな不安があると思う。でもそういった環境に何度も足を運び、ママさん同士で助け合って、自分よりたくましいママさんたちとふれあっている間に、いつのまにか自分もそのたくましいママさんになっている。相互に足りないところを補いながら、ふえっこに参加している間は自分は目の前にいる子供全員のママさんなのだという、無意識での自覚をもって子供たちをみんなで預かっている。そういう空気感に包まれている里山ようちえんなのだ。

実際に別のママさんが別の子供を助けていたり、おしっこに連れていったり、オムツ替えてあげたり、着替えさせてあげてたりといった光景を目にする。このネットワークは、本当に自然と助け合いが自発的に生まれている。

今を生きる我々の年代は、基本的に里山での遊び方を知らない。
身の回りのものを使って暮らす、生きる知恵に乏しい。子供に限った話ではなく、我々オトナがそうなんだから、オトナが知らないことは子供にも教えることができない。およそ教育(英語でいうところのteach)の限界は、教える側の限界がそのまま教えてもらう側の限界なのだ。

そういう意味でも、親子ともども知らない、やったことないことを、共に経験しながら、一緒の時間を過ごしていくというところに魅力があるんだと思う。どこかで買ってくることしか知らなかった味噌作りや、干し柿づくり、Tシャツを身近な草花で染める等、ここで一度しっかりと体験した、里山という資源をつかった遊びや暮らしは、今後の生活に役立つかどうかはさておき、自身の知恵として身になっていく。

知識はいずれ忘れる。でも、体験したことはなかなか忘れようがない。
貴重なものを、自身に積み上げていっている。そういう時間がここにはあると思う。

やっぱ何より、主催者の郁ちゃんの存在も大きい。ママさんたちも完全にファンやしなあ。

郁ちゃん自身は自分にはまだ子供がいなくて子育てをしたことがないのにこうやってママさんたちに子育て保育がどうとかっていうのはおこがましいんじゃないかとかいうことを気にしているけど、誰もそんなことを気にしていない。

世界一の金メダリストを生み出したコーチも、自分自身が別にその記録が出せる訳じゃない。
大事なのは、この人と一緒にいたい、やりたいと思える関係性の方が何より大事。

ふえっこのママさんたちには本当にお世話になった。うちの嫁さんが入院中、どうしても仕事の用事で子供を連れていけないときに預かってくれたり、飯つくるのがほんまに面倒くさい時にお裾分けもってきてくれたり。ふえっこ以外の時間でも、ふえっこが続いている。本当にすてきなネットワークだと思う。

これが何年も続いた後、子供たちも、そして親たちも、どんな関係性になっているのか。
それが今からとても楽しみでならない。
ふえっこにご興味ある方は是非、運営元の丹のたね(まごころのたね)に連絡してみてくださいませませ。

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