根本的な一歩


最近家の周りのカエルの数が異常。

このまま家の周りの虫どもを食べ尽くしてくれたらいいのに、と思うが、蛇やら鳥やらの天敵も多数存在するため、カエルの天国という状態も長くは続かない。ぼちぼち田んぼも一度水を抜く時期。カエル天国もあとわずか。

昼から市役所と打ち合わせ。とある集落の運営について相談を受けた恰好。

集落運営については、たいていどこも行き詰まっている。
想定される理由は根本的に、長く続きすぎたおかげで今を生きる集落の人達はただ同じ地域に住んでいるだけで、特に何か共通する目的意識もないし、何か共通して追いかけている目標も特にないことだと思っている。会社で考えてみてもそう。100年やら150年やらと続くと、当然創業者はとっくに死んでいて、何代と代が代わる度に考え方もやり方も変わるのが常。当然社員も代わる。だからもう、創業時の目的意識なんていったものはどこか風化し、忘れ去られ、何の為に集まって住んでいるかなんていうこともとっくにすり替わっているし、何より都度今なぜ我々はこの集落に住んでいるのか?なんて議論も沸かない。会社で考えたら危機的状況だが、集落は別にそこに人さえ住んでいれば成立してしまう。だから余計にたちが悪い部分がある。

かつて観光地だったというところも、今となっては観光を生業にしている人も減り単なる住宅街と化していたりするし、現状がその状態でふってわいたように何かPRしよう!と声高々に叫んでも、いやいやもう静かにしといてくれや(うちはもう観光で食ってへんねん)という声がそれなりのボリュームだったらもう成立しない。どういう地域にしていくかの意識統一が何より先に必要になる。

これはどれだけマクロな視点でも、ミクロな視点でも同じ事がいえる。
丹波市はどういう町なんですか?という問いに、答えは人の数だけある。そうなると、一言で言い表せない。一言で言い表せないということは、何もPRできない。今生きている人達が、これだというものを決めなきゃいけない。

国が一方通行的に地方創生だなんだと言い始めて数年。
まだ一歩も進んでない地域が大半だと思う。この、根本的な一歩が進んでいないから。ブレーキ踏みながらアクセル踏んでいる感覚に近いモノがある。何かはじめる前に、何かやめなきゃいけない、捨てなきゃいけないこともある。最初の整理がどこも大事なんだと思う。