究極


まだ子供が産まれる前。
とある40代の女性と話し込む機会があり。

その時聞いた話というのが、その人がなかなか子宝に恵まれず、諦めて里親になろうとしたけど、年齢が45歳以上(子供が成人するタイミングで65歳以上)の為、里親になれなかったんだという話で。

実際にどういう制度になってるのか詳しくは知らないが、そういうこともあるんだなと。

なので、自分も40歳頃までに結婚とか子供とかに恵まれなかった場合に、里親になるという選択肢をとるなら早めに動いておく必要があるんだな、という、ある種の心の準備というか、いざって時の判断材料になった。

こういった、『どのタイミングで自分の子供をつくることを諦めるか?』等といった、究極的に難しい、なかなか即座に答えがでるもんじゃない問い。
でも、なかなか答えが出ないからといって考えておかないという訳にもいかない物事に対し、一定考えられる範疇までしっかり考えておくという体験は、必ずしも最終的に役に立つかはさておき、一定の保険にはなったりもする。

こうした複雑な問いというのは結局、答えというものが暗黙の了解的に

x=a(答えは一つ)

という安直的な感じではなく、

x=a+b+c+d+e(答えはいくつもある)

とか、

x=a(b-c)/de(なんかもうややこしいなぁ、というのが答え)

とか、

x≒ab-c(t-ie)(問い=x自体が設定を間違っていた為答えがでてるようででてない)

っていうのとかが、あり得てしまうもんだと思う。

問い自体が間違っているケースというのは例えば、この人と結婚して幸せになるんだろうか?とか、田舎に移住してうまいこといくんだろうか?とかいう類はこれまでやったことない事はやってみなきゃわからないんだからあんたが幸せにしろ、移住してみなわからん、あたりが結局答えであって、そもそも問いが問いになってなくて、問いを改め直すと『この人と結婚してうまくいくか不安』『田舎に移住してうまくいくか不安』であり、問いになってないのであって、不安な気持ちがでてきた時にどう対処していくべきか?とかは考えていく必要のある問いかなとは思う。

とまあ、こうした究極的に難しい、でも考えておくべき問い。
これまで自分はふっと頭に浮かんだら一応考えるけど一人で考えるのめんどくさいし効率悪いからすぐさま誰かにぶつけて考えを深めておく(話しかけられる不幸な皆様はいつもお世話になっております)のがクセづいていて、それなりによく考えている方だとは思っていて。

日頃から相談を受ける仕事をしている関係もあって日々似たような問いや同じ問いを違う顔ぶれから受けることもあり、実はとても短気で飽き性なわたくしは違う顔ぶれからでも同じ問いが立て続いた時とか『同じこと何回も言わせんなYo!』とか正直頭のどこかで理不尽にも思っちゃう時もあり。

なので、オンラインでもなんでもいいけど、普段息を吸うように日常的にそういった話しができる場をもっておくのもいいような気がする。ほとんどの話に即効性がないけどいざって時のダメージが小さい。