史上最高の研修ゲーム:ロマサガ


お盆前の話。一人の間にしかできないことをしようと思い、猶予のある時間内にできることは何かと考えると、これはロマンシングサガしかないと思い立ち、数日前から睡眠時間を削って、荷物置き場と化していた家の二階からスーファミをとりだしてきてプレイ開始。

ロマンシングサガ(通称ロマサガ)はプレイヤーの選択肢によってストーリーが異なるというシステムで、当初は恐ろしく画期的だと感じていた。与えられる選択肢をどう選ぶか?それはそうと、なんでこの選択肢?という妙に辛辣な選択肢があるこのロマサガ節。他にもっとあるやろ選択肢、という場面はおよそ現実生活でも同じ事。物事の当事者である時は「どうしてあの時ああいう選択肢しか思いつかなかったのか」という事象はよく起こる話で、ロマサガのハードであるスーパーファミコン時代は完成品としてソフトが販売されるものの、色んなバグが残った状態のものが多かった。このロマサガも数々のバグが存在しているがそれがまた妙に現実世界を疑似体験させてくれる感覚がある。ジャンケンの世界で言えば、相手がグーならこっちはパーを出せば勝つはずだが、なぜかパーで勝てない時がある。バグとはそういうものであり、時に理不尽、時に裏技と称される画期的策となったりする。こうしたバグの存在もロマサガをよりロマサガたらしめている要素の一つであると言える。

主人公の一人、アルベルトは序盤に自身の城をモンスターに襲撃され、姉と生き別れるのであるが、結局エンディングまで一度も会うことなく終わる。こうした謎の辛辣さよ。別に恋人とか許嫁とかそういう設定の相手ならともかく、ゆってしまえばただの姉に最後まで会えなくする必要がどこにあるのか?ストーリーの進行上、たまにマップ上ですれ違うことがあるが絶対に接触されないようになっている。なんならゲームの設定上、あれは見た目がそっくりなただのNPCなのか話しかけられないのでアルベルトの姉なのかも真偽の確認のしようがない、でもたまにすれ違う。こういうところが本当に妙にリアルな人生くさいところがある。

ロマサガの名場面といえばやはりガラハドのアイスソードだろう。アイスソードはロマサガ上での最強の武器であり、進行によってはここでガラハドを殺さないと手に入らないようになっている。最強の武器を殺さないと手に入らないという設定は事件であり、ロマサガ節とはこのことであるといわんばかりの事象である。

ここで時代背景の話をしよう。
ロマサガは1992年1月に販売されている。当時自分は9歳。確か発売直後に買ってもらったような記憶があるから、小学校3年生の時が初プレイということになる。もはや今を生きる20歳以下の人達には想像がつかないかもしれないが、ほぼ誰も携帯電話を持っていない世の中で、家にパソコンなんていう代物があるわけがなく、わからない物事や調べたい物事があれば国語事典か百科事典か、図書館へいって調べるか、大人に聞くかしか選択肢がなかった時代。OK GoogleとかHey Siriとかそんな時代ではなく、超アナログな世界であった。販売されるソフトには簡単な説明書がついているがそれはほんと浅いものであり、具体的なものは一切書かれていないので何も事前学習ができないまま本番をプレイするのが当然の一般的なことだった。
当時は各ゲームの攻略本なるものが販売され、今でこそすぐネットで調べられるがそれができなかった時代では攻略本しか頼るものがなかった。が、このロマサガにおいては先述の通りバグが多いことで有名、つまり攻略本に書いてあるとおりになるときもあるし、ならない時もあるということが頻繁に起こっていたのだ。

そんな背景があり、当時小学校3年生であった自分は、問答無用で殺害した。ガラハドがどういう人物なのかとかは一切重要ではなかったと思う。最強の武器を持つやつが目の前にいる。殺せば手に入る。殺さなければ手に入らない。何も考えずに一発で殺害した。殺害したあとの妙に悲しい音楽に変な罪悪感を感じたのは今も覚えている。

ロマサガの画期的なシステムの一つに、善行値と悪行値という概念があり、悪行をしまくると最強クラスの武器が手に入りまくるところへいけなくなるばかりか、たいしたことない武器しか手に入らない冥府にしかいけなくなる。また、いいことをしすぎるのもそんなによくない結果になるようになっていて、善いことも悪いこともそれなりに経験して、トータルするとちょっと善いよりの場合に一番いいところへいけるようになっている。絵に描いたような善人をよしとしない、妙に人間くさいやつをよしとする(でも悪いことして捕まるようなやつはダメ)この設定は本当に一つの人生を疑似体験させてくれるものといっても過言ではない。

最近のゲームでは基本的にもうバグは存在しないか、携帯アプリゲームなどではバグが見つかれば即座に改善されるようになっていて、不具合という意味でのバグはいつでも即座につぶされてしまうようになっている為、こうしたバグそのものを受け入れ、むしろ楽しむべきものという許容がなくなってしまったように思う。1+1は2でなければならない、そうした曖昧なものがひどく許されない世の中になってきた。人間はかくも曖昧な存在であるのに、それにフタをするような形で何もかもに白黒つけたがる人物が多くなってきた。NPCにでもなりたいのかなってくらい。そういうのはAIにでもやらしておけばいいのだ。

ちなみにその小学校の初プレイ時、最終的にどうなったかというと、ラスボスであるサルーインの目の前でセーブして、一回挑んでまさかの敗北。次の日ちょっとレベルでもあげてから再度挑もうと思って次の日を迎えたら、全てのセーブが消えていたのだ。つまり、ゴールせずまま全てがなきものになった。あまりのショックに、再起できず、そのまま36歳の今現在を迎えてしまったのだ。

25年の歳月を得て再びサルーインに挑んだ時は、彼もゆっていたが本当に、やっときたかこの日が・・・という感じだった。
想像していたよりも簡単にやっつけれてしまったが、ようやく念願のエンディングを迎えることができた。感無量。長い長い、積年の思いがついに達成された。

総プレイ時間26時間。睡眠時間が削られすぎてなかなか大変だったが充実感は半端なかった。ありがとう、ロマサガ。いい勉強になった。そう、なんだかすげえいい勉強になった感があった。

兼ねてから、人生に悩む迷える子羊さんに出会った時に「そんなやつはロマサガしろ!」とずっと言い続けてきているが、これは本当にやった方がいいと思う。ただ、絶対に事前情報を仕入れない、どんだけ行き詰まってもネットで調べない、前情報一切なしでやるべき。じゃないと本来得られる経験値が削りとられていってしまう。人生を楽しむがごとく、そのまんま、気のむくままやった方がいい。

丹波に移住してから数年の歳月が経つが、やれ後継者不足だの、担い手不足だの、事業承継だの持続可能がどうだのといった話題が尽きないが、そういうテーマの方がマロサガ2をやるべきだと常々ふいてまわっている。
ロマサガ2はざっくりいうと、主人公である皇帝が自分の能力を次世代に継承していき、最終的に当初倒せなかったボスを倒すというストーリーであり、次世代に継承していく際の極意と英知が詰まっている。大体今の世の中で後継者不足だの担い手不足だので悩んでいる人はロマサガ2をやってないせいではないかという仮説が立てられると思っている程、やった方がいい、ロマサガ2。

ちなみに、多様性が云々とかいう話題についてもロマサガ3をやった方がいい。

人生に迷ってるやつはロマサガ、
持続可能がどうとか後継者やら継承が云々で悩んでいるやつはロマサガ2、
世の中多様性がどうのとかいうやつはロマサガ3をやった方がいい。
ロマサガ1,2,3やるだけで、大体の人生は生きていけると思っている。まずはやったほうがいい。

なんなら今後自分の関係する会社の求人とかにはもうロマサガを入社試験として義務づけるか、ロマサガについてどれくらいのレポートが書けるか等、採用活動に導入しようかと思っている程だ。四大卒とかまじどうでもいい。ロマサガをやったことなるのかないのかの方が重要。

このまま書き続けると終わる気配がしないのでこの辺で。

最後に、ロマサガありがとう。