痛みから学ぶこと
里山ようちえんから傷&アザだらけで帰ってきた息子氏。
個人的に思う里山ようちえんのいいところの一つは、
“(致命傷にならない程度の)痛い目にいっぱい遭うこと”
だと思っている。
この経験をさせようと思うと、
『あ、それは危ない!』
っていう場面に遭遇した時、その声を出す瞬間をワンテンポ以上意図的に我慢し、救いの手を差し伸べたくなるそのワンシーン後に対するカバーへ差し伸べなければならず、保育士さんの器量と度胸が試される。
致命傷未満の傷を負って帰ってくるということは、保育士さんがここでいうところのファインプレーをしてきたと同義。
なぜ痛い目にたくさん遭うことがいいのかといえば、まず危険回避能力の向上。
一度痛い目に遭うと、次は避けようという気持ちが生じる。あの行為は痛い目に遭うと知るというのは、回避の第一歩。
おまけに、痛い目に何回も遭うと、「ああいうのも危ないかもしれない」という類推する発想が生じてくる。総じて痛い目に遭わないようにする行動がとれてくる。
2つ目。
どういう行為が痛いのかがわかると、他の人に対してどういう行為をすれば痛いのかがわかるということ。
親の気持ちとしては、子どもには人を傷つけない大人に育って欲しいと願うもの。
ただ、他人を傷つけないようにする(痛がらせないようにする)かどうかは当人の性格によるものの、まず何よりもどうすれば痛いか知っていないことには、「本当は痛くないんでしょ?」みたいなことになる。
どうすれば痛いかを知っている。その上で、痛い思いをさせるか、痛い思いはさせないようにするか選択する。その選択肢の土台になる。
最後に、痛みを知ってるから、人の痛みがわかる。
沢山の痛みにふれることは、人としての、人間としての厚みに関わってくる。そう思ってる。