フォトブック作りました


うちの子も通っている、里山ようちえんふえっこ

 

昨年、婦木農場お抱えカメラマンの渡邊さんが作った写真集みたいなんを今年は学期ごとに作りたいという依頼で、とりあえず一学期分をわたくしがやることに。久しぶりのフォトブック作成となりました。

 

 

別に全国に向けて販売される“写真集”でもなく、読み手はふえっこの親と子。個人的な作品でもない。

なので、“写真映えの善し悪し”よりも、卒業アルバム的な方向性の何かの“記録”。

 

どういう記録にするかと考えた時に、読み手となるふえっこの子ども達がいずれ大きくなってふと手にとって眺めた時に、当時抱いていた“大事なこと”“大切なもの”、忘れていた何かが思い出せるような記録にしようと。

 

 

だから、昔遠足についてきて後日写真を売りさばいていたカメラマンの写真的な、個人の顔を追いかけまくることよりも、何かの記録であることを重視して写真を選別したので、誰の顔も写ってないような写真も選んだり。

とはいえ、親としては我が子の写った写真が欲しいだろうから、そういう項目を用意して構成でカバーした、という具合。

 

自分の手で、撮影に行っているからわかることがある。写真として切り取った時の子供らの様子が。

撮影日に終始テンションが低くて写真で切り取られた風景からは常に無表情に見える子どもでも、皆が楽しそうに川でカニを捕まえていた時に興味津々の空気感で輪の外からのぞき込んでいたり、何気ない二人の子どもの後ろ姿に見える写真でも、実はふっと皆の輪から外れがちな子の様子をみて優しく声をかけてあげていたことだったり、この時のこの瞬間からその子を包んでにじみ出てた悲壮感がふっと消えていたり、子どもが一人で野菜を黙々と切っている写真とかでも、実は皆はもう料理に飽きてて遊び回っている中、ほんまもうしゃーないなあというおかん気質を発揮してみんなの為に頑張っていたり。

本人はその切ってる野菜、嫌いなのにね。

 

どうにもうまくいかず困ったときに、そばにいる保育士の二人に話すと、自分のおかんと話しているような雰囲気になるのか表情が安堵していくのが見て取れたり。

一日の中で、色んな場面に遭遇する。終始、和気あいあいとはいかない。

時に殺伐とした空気感になったり、周囲がピリつく瞬間があったりする。

本当に感心したのは、その空気をちゃんと皆が掴んでいて、ほったらかさずに何かしらの対処に動いていたこと。見た目よりも、中身の成長が著しいなと感じますな。

 

 

なもんで、これを見ることになる親御さんたちには是非とも写真を一面的に捉えずに、その時の様子や背景、空気感はどうだったのか、子ども達は一体何を考えてそうなっていたのかな等と、想像を膨らませながら見て頂きたいなと。思いますな。

 

最後に、この撮影の場に居合わせた保護者としては、子どもらは思った以上に真っ直ぐに、健やかに、優しく育っていることをここにご報告いたします。