言える口


地元の川が干からびている為、昼から春日の日ヶ奥渓谷へ。

 

 

子供らは普段から川で遊びまくっているので、川にきても特段テンションがあがるもんでもなく、2時間弱で退散。

そう、普段から外遊びしまくっているので、ようちえんのない土日にまで別に外で遊びたいということにあまりならない。職業病みたいなノリ。

 

久しぶりに一緒に外で遊ぶとやっぱ、そこらへんの子らとたくましさの次元が違うように感じる。

『そこらへんの岩滑るから気つけや』

という台詞がそこらへんの子連れ家族同様一瞬頭をよぎるものの、口にださず見ててもちゃんと避けてくるというか、わかっててかわしているというか。端的にすべってこける気配がない。

多分、というかほぼ間違いなく、これまでに一杯危険な目にあって、対処法が身についてるんやろうなと感じる。

自分自身を振り返ってみれば3歳の頃万博公園内の川で、岩から岩へ飛び移って遊んでたら滑って後頭部打って流血、救急車乗って病院送りになったのに。現時点でたくましさペースは親を超えてる。

 

 

世間一般的に、親という生き物は子どもにああせえこうせえと一日の間に100~200回程指図するそうだが、親のゆうことを従順に従う子どもに育てあげても子どもの一生涯を必ず、確実に、面倒見きれるかといえばほぼ不可能。おまけに自分以外への依存度が高まって、ろくなことにならない。

そもそもの前提が不可能でろくでもないなら、さっさとそのルートは諦めるべきだと思うので、親のいうことをきくかきかないかよりも、子どもが自分で考えてどう判断するか?どういう選択をするか?選択の結果、どう行動するか?を、見守っている。

今はこれでいいと思うし、いつまでもこうかもしれない。

嫁氏や身内からすると、子どもに感心ないんちゃうかこいつと思われているかもしれないが、まあ、ね。そもそも論で、

あーだこーだうるさく言われることに対しほんま黙っててくれほっといてくれと幾度となく思い、あーだこーだ教育がなんだと教育熱心な先生方にあんたから教わることは何一つないわと思いながら学生時代を過ごしオトナになった自分としてはまあ、ね。

言うことないよね、特に。言える口がない、そもそも。