敗戦の弁とこれからの為に
選挙も終わり、少しずつ元の生活に戻っていっております。
元通りというのも何か違うんだろうなということも実感しつつ。やはり一度選挙に出馬すると何かが変わる気がしている今日この頃。
申し訳ないことに未だ応援してくださった皆様へのご挨拶も回り切れていない中でもあり(目の前に迫りくる仕事の波にのまれる前にとは思っていつつ)、あまり負けた身であれやこれやと書いても潔くないと思い、書かないでおこうと思っておりましたが、自分はそれでよくても応援してくださった人がいい迷惑を被っているのではないかと思われる場面や、なぜか噂が噂を呼んで見当違いの話になっていて事実と異なる話となって僕の耳に入ってくるケースが目立つので、やっぱりここはちゃんと書き記しておこうと思い直しました。
※以下、公職選挙法も考慮しながら書いていきます。どこか言い切らずモヤッとしたものがあればそれです。予めご了承ください。
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◆ポスター写真の映りが小さすぎる。もっと被写体を大きくしておくべきだったんじゃないか?
まず大前提として、陣営の皆様にはほぼボランティアで集まって頂いておりました。
お金を出して雇っていたならまだしも、善意で助けにきてくれている人に対しあれしてこれしてと指示命令をするのはどこか違うと思っていた次第で、その結果、こういう風にしたいという方向性だけを伝え、出てきた成果物に対し余程のことがない限り(公職選挙法的にアウトかどうかだけは気にかけていた)そのまま陣営にお任せしてGoしておりました。
被写体を大きくした方がよかったのではないか?という問いに対しては、その通りかもしれませんし、逆に他の候補者ポスターとの差別化という意味ではあれでよかったかもしれません。やってみないとわからない世界観ゆえに、なんとも言えません。
◆なぜ坊主にしたのか?井口本人と認識できるまでに時間がかかった。
坊主にしたことと選挙は微塵も関係がありません。
選挙に出る出ないの話の前(2016年9月上旬)に、ただ単純に坊主にしていただけでした。選挙に出ることになった際に、過去に例を見ない程坊主にして後悔しておりましたことはここに記しておきます。
◆なぜ普段メガネしているのにポスターではメガネをしていなかったのか?
結論から先に申し上げますと、慌てていてメガネの事は全く念頭になかった、です。
出馬が決まったのが11月9日午前。告示は11月13日の朝8時頃。ポスター等は告示前日の12日には選挙管理委員会にレビューをしてもらう方が吉、ということになると、10日中にはデータを作成し印刷会社に入稿、11日には仕上げてもらって発送、12日中に受け取りというスケジュールが当初の段取りでした。落ち着いてポスター作りの打ち合わせしている時間がありませんでした。こちらも坊主同様、後でかなり後悔しました。
◆「#選挙はお祭り」はやはりいただけなかった。遊び半分でやってるんじゃないか?と思っている人がたくさんいた。
そうだと思います。語弊があるかもしれませんが率直に申し上げますと確信犯でした。お騒がせして大変申し訳ありません。
もっと言えば、「#選挙はお祭り」と書いてあるものの、「#~~」をハッシュタグと呼び、ハッシュタグとはなんぞやということについてご存知ない方も沢山いらっしゃるであろうということは最初から想定しておりました。
ポスターを作ってもらって、初稿をパッと見た時、『やっぱり随分当たり障りあるな』というのが正直な私の感想でした。結局、ほぼそのままGoしました。
全ては“選挙を盛り上げる(具体的に言うと投票率の向上)為の一手”でした。自分としてはそれを背負って選挙活動をしていたつもりです(タスキの背面、街宣車の後ろに掲げていたのはその気持ちの表明です)。
この時点で自分でも再確認したのは、“ただ単純に市議会議員選挙に出て、従来通りの選挙の闘い方で議員になるのは何か違う”ということでした。
出馬までの気持ちの変動については先日書いた記事の通りなのでそちらをご覧いただければと思います。
元々、以前から市議会議員になりたくて出馬するのであれば、もっと早い段階から準備していましたし、なれる為の動きをとっていた訳ですが、2016年7月14日のbirthday(市民参加型プレゼンイベント)に参加されていた方はご存知の通り、自分が選挙に出るということは念頭に一切なく“選挙を盛り上げる(具体的に言うと投票率の向上)為”の手段を、選挙の1か月程前まで模索しておりました。三田市でも行われていた選挙割を丹波市でもできないかと模索しておりました。そう、丹波新聞に立候補予定者一覧の記事が出るまでです。
そこから色んな気持ちが湧いてきて、自分が出馬しようということに至った経緯があります。
『自分自身が選挙に出て、勝って市議会議員になる。その上で、丹波市全体の投票率の向上も狙いにいき、あげくの果てに次の4年後自分よりも若い人が出馬しやすいような環境を創る為に手を打つ。』
という、自身の選挙活動に付随して、余計に2つ、欲張りながらも狙っていたのでした。
出馬の為の諸々の調整が思った以上に時間がかかり、11日前の出馬表明と結果的に直前になってしまいつつ、当然ながら出るからには勝つつもりしかなく、負ける気はさらさらなかった訳ですが、この点につきましては、自分の陣営に集まってくださった支援者にもなかなか伝わりづらく、陣営内でも様々な葛藤を引き起こしてしまいました。
“全ては勝つために動いていて、勝つために時間を使っている”
という基本スタンスで居た訳ですが、投票率向上(主に“#選挙はお祭り”を使ったネット戦略)の為の動きと、未来の選挙事情向上(クラウドファンディング)等の動きだけ見れば決して選挙そのものの取り組みが怠っているように見えたことと、『とことんまで思いつく限りのことをやって、やり尽くして、出来る限りの手をうったと思える結果ならば、その結果が勝ちだろうが負けだろうがそれはもはやどっちでも構わない』と思っていて自分の陣営内でそう発言したことが、一部分だけ切り取られますと『負けるつもりないならどっちでも構わないとかいうな』ということになったりもしました。
なかなか言葉では伝わりずらい概念で申し訳なかったのですが、最終的に、自分の陣営内には、微塵も負けるつもりはなかったことは、肌で実感していただけたかなと思います。勘違いさせた皆様には申し訳なかったです。
あと、勝ち方へのこだわりも事実ありました。
1つは、絶対に違法な手は打たない(自分の陣営内の人及び関係者に余計なヤケドはさせない)。
直前の出馬で、陣営内も初選挙応援という人が沢山いました。それでも、1つ1つ、何も問題ないかということについて選挙管理委員会に問い合わせていました。通算500回程電話なり連絡していたかと思います。選管の皆様、本当に有難うございました。お手数をおかけいたしました。
もう1つは、選挙の後の付き合いの方がよっぽど大事。
他陣営とのもめごと等、選挙活動を通じて誰かが誰かと仲が悪くなったりといった本末転倒な事態は避けたく、避けてほしく、無理をお願いしなければならない立場ながら無理をしないでほしいというお願いもしたりしました。
これらも見様によっては、手を抜いている、負けても構わないように見えた要因であったかと思います。先述の通り、申し訳ありませんでした。今回の敗因は以前にも申し上げた通り、井口本人の力不足と準備不足、並びに勝ち方へのこだわりの主に三点であると認識しております。
先日の記事に書いてある通りでくどいようですが、30歳まで選挙や政治に全く無関心だった私に、興味を持たせたきっかけは4年前の丹波市の選挙であり、その際、選挙はこんなお祭りのようなものなんだなというのを教えてくれたのも、選挙との関わり方を教わったのも丹波市の方々でした。ここでいう“お祭り”というのは、遊び半分なんていう概念は一切なく、自分の仕事や私事を投げ打ってでも手伝う、色んなものを犠牲にしながらも応援するその姿勢が、怪我人がでようが最悪の場合死者がでてもなおも続くような、真剣にお祭りを行うことを通じて楽しんでいる大人達の姿であり、それだけ真剣になれる大人が丹波市にはたくさんいるという事実を、姿を、これからもずっと後世にまで伝えたかった、伝え続けたかった。
それが真意です。勘違いさせていた人がいらっしゃれば、本当に申し訳ございませんでした。
遊び半分であるというのは、本意ではありません。
◆街宣車が京都ナンバーやったのは何故?
告示4日前で、車の手配が可能だったのが福知山市のレンタカー屋さんしかなかったのです。理由はそれだけです。
◆SNS等を多用したネット戦略をとっていたがどうだったのか?
私との直接の関わりがなかった人には『井口はネット選挙を仕掛けている』ように見えたかもしれません。
しかし、実際には99%程の時間は、地元を巡り、これまで知り合った市内の人に会いに行き、街宣活動し、選挙事務所にお越しいただいた人と話し、深夜遅くまで翌日どうするか等の打ち合わせをしておりました。1週間、ご飯をまともに食べる時間すらもったいなく感じほぼ動いていたのと、毎日2~3時間以下の睡眠時間で動いていました。自分自身としてはほとんど投稿できませんでした。当然、全ての投稿を見れてもいませんでしたし、全てを把握している時間もなかったですし、毎日8~20時はほぼ外に出ているので中がどうなってるのかというのはほとんどわからなくなっている状態でした。
インターネットを選挙活動に利用することについては、確かな感触はありました。
ブログ見たよ、ホームページ見たよ、facebook見たよ、動画みたよと直接お伺いすることが沢山ありましたし、聞いた限りでは小、中、高の学生が自身の携帯等で見て知って、それを親に伝え知り合いに“うちの子が井口井口と言うてるけどどんなやつか知ってるか”と問い合わせてきたりというのがあったということは聞いています。
それらが票数という結果に現れてこなかったのは、私個人の力不足によるものかと思っております。
◆動画はいつどのように撮っていたのか?
動画に関しては、選挙運動前に撮ったものは一つもなく、全て選挙期間中でした。しかもほぼ深夜。時間的にも体力的にも日々の限界近いタイミングでの撮影だったので一発撮りばかりです。実際問題、ヘトヘト過ぎて何話したかあまりわかっていませんし、正直未だ見返せてもいません。なのできっと、私自身も記憶にないほど、思った通りのことを素で話しているとは思っています。
◆事務所をもっと国道沿いのわかりやすいところにした方がよかったのではないか?
こちらも告示4日前で、準備期間がなかった為に他に手配できませんでした。それと、ここまでの4年間そのまんまで真っ向勝負しようと思っていました。
◆道路沿いに全然看板をたててなかったがあれはどういう戦略か?
立てる為の手配が間に合わなかっただけです。立てたかったのです。
◆選挙期間中、氷上町成松界隈をトラクターで爆走してた?
しておりません。我々は選挙期間中、街宣車及び乗用車でしか移動しておりません。他のどなたかです。
◆最終結果の850票はどこからの票だったのか?
よく聞かれるのですが、正直わかりません。
選挙活動が終わった時点で、事務局から聞いていたいわゆる“票読み”というものでは1100票程だったと聞いていました。これは、陣営の皆様が電話等してくれて、会って直接話してくれた総和です。結果的に読みより少なかったのは結局のところ、突き詰めると僕自身の知名度のなさ、努力の足りなさであると感じています。同時にただ、感覚的には、850という数字は私がこれまで出会った人と、その中で応援してくれて声をかけてくれた人の総和だと感じています。
◆クラウドファンディングはどこからの支援で達成だったのか?
全部で59人の方からご支援いただきました。うち53人は直接の知り合い(89.8%)でした。
全体の中で丹波市内の人は23人(38.9%)、篠山市の人は5人(8.4%)でした。
北は北海道から南は九州・熊本まで。幼稚園から、小学校から、中学校から、高校から、大学から、社会人から付き合いのある友人達と先輩後輩、丹波に来てからうちに遊びにきてくれた人達、移住の相談を伺った人達、丹波での活動を共に行ってくれた他の地域の人達、等々。ほぼこれまでのお付き合いがそっくりそのままでした。
まだ顔を合わせていないにも関わらず応援してくださった方々も。本当にありがとうございました!
純粋な寄付にも関わらず、何も見返りのないチャレンジに支援いただき感謝しております。
◆横田親(前)市議会議員の後任として出ているのか?
後任として、出ているつもりはありませんでした。議員になった後、彼と同じ手法でやるつもりもありませんでした。
ただ、やろうとしている方向性は常に一緒であるとは私個人としては思っており、これまでもずっとそうでしたが、方向性は一緒であり、ただお互いやり方が違うものではありました。やはり人間が違いますので、同じことを目指していてもやり方は人によって変わります。それはキャラの違いです。
確かに今回の選挙、彼が出馬しないということもあり立候補いたしましたが、その理由は間接的でした。
彼がでないことにより、また他の立候補者で彼ほど近しい距離感にいる候補者がいなかったことにより、これまで政治が、町が、自分にとって周囲の人達にとって身近でいられたその感覚が失われてしまうのではないかという懸念と危惧が最も直接的な理由であり、それを埋めるべく出たというのが本筋である為、彼の進退そのものについては特別な理由ではありませんでした。
彼がいなければいけない、後釜になろう等といった気持ちはこれっぽっちもありませんでした。そこまで自分の人生を彼におんぶに抱っこなつもりは微塵もありませんし、人任せにしてきたことはありません。
※余談ですが、彼の進退等についてよく聞かれますし、思いのたけをよく伺います。それらは是非とも本人に直接会って、本人の口から聞いてやってください。
◆井口は維新の会か?
なぜかよく言われましたが、微塵も関係ありません。無所属です。
新聞の広報にも広告にも書いてあったかと思いますが、無所属です。
◆選挙期間中、嫁さんはどうしてた?選挙は家族総出で手伝うべき。
陣営内及び関係者には伝えていましたが、定期的に大阪の病院へ通院しており、今回も選挙に出る前から通院の予定が入っていて不在にしておりました。知らなかった方々は申し訳ありません。選挙に出るからと言って、通院をずらさせるという選択肢は自分にはありませんでした(もちろん居たら手伝ってもらうつもりでした)。
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足りていない部分があるかもしれませんがそれらは直接お会いした際に聞いていただければと思います。
以上です。ありがとうございました。
ここからは以下、選挙活動を通じて色々言われたことで考えさせられた話であります。
今後、自分よりも若い世代がどんどん立候補してくれたらいいなという気持ちがありましたことは先述の通りです。その為に、一旦ここでどういうことを色んな人に言われていたのかを明らかにし、次回以降、丹波市の選挙等をどのようにしていくべきかを自分だけでなく皆様にも一考していただきたく、書き記しておこうと思います。
現時点で明確な答えはありません。以下、皆様も是非一度、考えてみていただきたいところです。
一部、皆様にもご一考いただきたい都合上、完全に自分のことを棚に上げきって書く箇所もございます。自分が言うべきところじゃない部分もありまくるかと思いますが、その上で、書き記しておきます。予めご了承ください。
◆子育て世代の出馬について
自分よりも若い世代で、自分の家庭よりも小さな子供を抱えていたり、もっと大変な家庭の事情がある人も出てくるかもしれません。その際、先述の『選挙は必ず家族総出でなくてはならない』という風潮があるのは、若い世代の出馬には大小問わず障壁になり得ます。我々より若い世代の出馬は、家族のことを考えずに済む独身しか出馬できない可能性も秘めております。
今回、私が出馬することで少なからず子育て世代から“子育て世代の声を市政に届けてほしい”といった声を伺いました。
その、子育て世代の出馬は基本的に、出馬のハードルが高いのです。1歳にも満たない子供がいたら親のどちらかが面倒を見る必要があり、親が2人いても基本的に労働力は2人前でカウントできません。私はまだ仕事がある程度自由に組める環境にありますが、30歳前後のサラリーマン家庭であればもっと自由度がなく、さらには会社に置いてこれからの伸び盛りな人材でもあるでしょう。家なんかを購入していたら一瞬たりとも大黒柱の収入源がなくなるなんていうリスクはなかなか踏めないでしょう。個人事業主であっても、家族で経営していたり本当に一人で経営していると、議員になったらなったらでそっちも大変なことになります(議員は市からの委託等を受けている事業体の代表権につけない等の規定があります)。
他にも“市議会議員になるからにはずっと続けていってほしい”という声もよく聞きました。
気持ちはよくわかりますし、理解していますし、そうするつもりでした。
ただ、子育て世代では小さな子供がいて子供が今後学校内等での環境がどうなるかもわからない中、いかなる状況下でも即答で“必ず続けます”とは言い難い世の中ではあります。もし仮に子供が学校でいじめられてたりして子供が学校にいられないなんてことになったら、それでも転校させず自分が議員で居続けられるか?といったことになると、家族の一大事が絡んできた際はさすがに一児の親としての私も無理だなと感じていたりもします。一生独り身で、一生自分のことだけ考えていていいなら全ては自分だけの決め事なので即答できます。
※もちろん、子育てが一通り終わった世代でも、いざ選挙に出馬となるといろんなことを考えないといけません。子育てが終われば次は親の介護問題等が浮上しているタイミングです。どの年代でも、色んな立場での苦労や悩みがあります。これはかねてからずっと、議員さん達、かつて議員さんだった人達、他市の議員さんからも色々聞いていたところです。
冒頭にあった、子育て世代の声を市政に届けてほしいと希望する有権者の方が、同じ子育て世代の方を立候補してもらおうと思った際、自身が投票すること以外に一体他に何をすべきで、何をすることが必要か、是非一度考えてみていただきたいところです。今回、年代は違うにせよ、子育て支援を推進していくつもりだった方が落選いたしました。もっと、色んな手だてがあったはずです。誰かを応援する立場をとって、誰かに議員を続けてもらう為に何かできることはないか?これを考えて動いていかなければ、応援していた人が落選したり議員であることを辞めてしまったらじゃあもう全てが終わりなのか?といえばそうではないはず。色んな人が、色んな立場で、やれることはもっとあるはず。
◆議員報酬について
もらいすぎとよく言われている議員報酬の500万円という金額。詳しくはこちらをご覧いただければと思います。
この500万円という金額は、ものすごくざっくばらんに申し上げますと、月給とボーナス、交通費(市職員と同じく距離による支給のみ)くらいは出ますが、それ以外に予め予定されている行事(通常の議会等)以外に何かやった際のお金は出ず、熱心に活動すればするほど自腹切っていくというお金です(会社でいうところの“売上”に近く、“利益”ではない)。源泉や保険等も引かれ、熱心に活動したいと考えている議員さんからすれば、この議員による報酬だけでは生活が成立しない次元になります。
お金だけの儲かる儲からないで考えますと、会社で事業やってる方がよっぽど儲かり、会社であれば500万円以上の売上と利益をあげられる可能性だってあります。単純な収入面では議員より行政職員の方が上のケースもあります(社会保険もありますし)し、下手すれば街中の企業の新卒以下程になったりもします。
『議員一年目は選挙費用の回収』であり、元来数百万円かけて選挙活動をし、1年目はその費用の回収みたいなもんであるということはよく世間で言われているところです。議員は名誉職であると言われる由縁です。おまけに一回の当選で目先の4年しか保証されません。先述の項目でありました通り、これから家族を支えなければいけないタイミングの人が、一年分相当の年収程の金額を選挙につぎ込み、議員になってもそのかけた費用の回収だけで済ませて大丈夫なんていえる人は一体どれくらいいるでしょうか?結果として、熱心に議員活動していく為にも生活を維持していくためにも副業をしなければいけない状態になる訳です。これまでの中ではどうしても資金と資産がある程度余裕があり、長年培ってきた人脈もおありの年輩の方々しか出馬しにくいのは、こういった背景も影響していると思っています。
今回私も多くの方から『若い人が議員にならなあかん!頑張れ!』といってもらい、とても勇気づけられました。
しかし、もしこのタイミングで議員になって、ずっと今後続けていって、60歳か70歳かまで続けていって、年を重ねたタイミングでそれまで応援してくれていた人が『若い人が議員にならなあかん!頑張れ!』といって他の若い候補者の支援に回って議員ではなくなったら、普通残りの余生のキャリアはとても描きづらいものになります。議員生活を終えた後の生き方も同時に作っておく必要があります。
奇しくも、同年代である横田元議員がこれからの生活をどう駆け抜けていくのか?といった点においては、若くして選挙にでて議員となり、若くして議員を辞めたあとどういった生き方が可能であるのか?という道を切り開いていくことになると見ています。長い目で見た時に、これから先、様々な方が選挙に出てくるであろう中、実に参考になるのではないかと思っています。
このように、金銭的な面も含め、諸々の段取りをつけていく面も含め、それらを調整できる人が議員としての素質であるというのは一理あるとは思いつつも、余分なハードルである点もやはりいくつかあると感じており、せめてもうちょっと選びやすい“普通の職業”にならないもんかな?と思っている次第です。
熱心に議員活動する為に生活費を稼ぐ必要がある⇒どうしても副業しないといけない(もしくは資金調達しなければいけない)⇒議員活動以外にも時間と労力を割く必要がある⇒癒着してるんちゃうか賄賂もらってんちゃうか等変な眼差しも増えてくる⇒キレイな仕事に見えなくなってくる⇒やっぱり政治家は怪しいよね胡散臭いよねとなってくる⇒誰からも憧れられない職業になっていく⇒負のスパイラル
みたいな事態があるとすれば、やっぱり避けたいところだと思っています。
今回の自身の選挙では、直接支援してくださった方々、先述のクラウドファンディングをご支援してくださった方々のおかげで自己負担額は50万円を切り、1円も負担することなく活動できました。これまで数百万円かけてなんぼ、一年目は回収の年と言われていた選挙に終止符を打つことができたと感じています。これから先、気持ち一つで出れるように、自分の周りに誰か議員になってもらいたいという人がいればこういう選択肢もあるよと提示できるようになった1つの証拠だと思っています。
◆市議会議員のなり方について
『選挙に勝つには地元をしっかりと味方につけろ!地元票がなかったら絶対勝てないぞ!』
『地元ばっかりに頼るな!ネット使ってでも色んなところから票をもらってこい!』
『いかなる手をつかってでも何がなんでも勝たないと意味がないんや!』
『目先のことだけ考えて特定のところからの票だけで議員になると後が息苦しくなって大変な目に遭うぞ!』
等々。
選挙期間中に言われたことは、全て鵜呑みにすると体が真っ二つになるんじゃないかという程に、360°色んな角度からアドバイスいただきました。例えば、選挙を長年応援してきた立場の方からは、これまでの傾向としてはやっぱり地元からちゃんと支持された方が当選していんだと感じていらっしゃればそのようにアドバイスいただきました。議員になられた方と交流がある方々からはどういう選挙の行い方をすれば後に議員活動がしやすいかという客観的視点でアドバイスいただきました。また、議員等一定の選挙を通じて立場あるポジションや役職、職業につかれたことがある方からは自身の体験も踏まえどのように闘っていくべきかをアドバイスいただきました。丹波市も有権者は数万人いますので、全方位からの意見があると感じました。
ちなみに丹波市になる前の旧町時代では、俗にいう“票読み”は恐ろしいまでに正確に読めたそうで、開票の前段階で何票入ってるか本当に読み切れていたこともあったそうです。もしそれがずっと長年の“当たり前”としての感覚がある方にとってみれば、『自分が誰に票入れたのかがバレてしまうのではないか』という気持ちにもなるでしょう。そうなると本来であれば、投票所へ足を運び、誰かの名前を書く際には三方向壁に囲まれていて決してバレることがないのにも関わらず、意にそぐわない形で投票してしまうこともあるでしょう。丹波市以外でももっと劇的に数の少ない地域であればもっとそうでしょう。
何をもって公平・公正というのかわからなくなりそうです。
公平・公正といった意味では、今回自身の選挙は、結果的に最も純粋な選挙運動だったと言えるかもしれません。なにせ選挙運動は『立候補の届け出があった日から投票日の前日まで行う事ができる』と公職選挙法に定められていて、今回でいえば11月13日から19日までが選挙運動できる日。私が出ようと思い準備し始めたのは11月9日。準備に追われ過ぎて実際に選挙でるよ!応援よろしく!なんていえる状況になったのは立候補の届け出した後ぐらいからでした。
『言うの遅いねん!』
『もっとちゃんと準備しとけよ!』
等、沢山、というかほぼ全員から言われましたが、実際に厳密に法律を遵守しますと、11月13日までの間は立候補の準備と政治活動しか許されていません。本人から選挙でるねん一票よろしくとか言っちゃいけません。
何が正しいのかわかりませんが、自分は自分なりに、真っ向から、ルールに従って、法を破ることなく、選挙運動したと思っています。
“村型選挙”という言葉があります。この項目の冒頭の通り、色んな考えを色んな人から伺いました。肯定側の意見も否定側の意見も。
私としては、結局選挙までの付き合いが全てであり、特定のところに居住している以上、結果的にその地域の票が集まることに関しては自然なことだと思っているので、特段固執して肯定・否定と考えるものでもないと思っています。ネット選挙も解禁され、どんどん以前のような票読みができなくなっていくんじゃないかと思います。柔軟な考えと対応が必要になっていくんでしょうね。
◆市議会議員への期待について
選挙を通じて色んな方々とお会いする中で、“地域から市議会議員を出さないと市政に地域の意見は反映されない”といった考えをされている方々と多くお会いしました。実は自分としてはとても不思議な感じがしていました。
二元代表の地方議会において、議員の仕事は主に提案と決定とチェックです。具体的にいうと、行政からあがってくる政策について色々問題ないか等チェックして、賛成か反対かのジャッジをする。議会からの政策提案というのは3人以上そろわないとできません。つい最近、丹波市では中小企業・小規模企業振興基本条例が議会提案で可決されていましたが、この議会提案というのは全国的にかなり稀らしく、他市の議員さんたちも素晴らしいことだと話しされていました。それだけ、なかなかありえないのが議会提案ということになりますが、これらの仕事でどうやって地域の意見を市政に反映するのでしょうか?ということになりますと、どちらかというと間接的ですね。行政からあがってきたものを、チェックして、ジャッジする。ジャッジでも賛成か反対かという意思表示ですから、意見を反映させていることにはなります。
しかし、“地域から市議会議員を出さないと市政に地域の意見は反映されない”という話の根幹にあるのは、議員が政策の主体主になっているんじゃないかと思われる節があり、ここが感じていた違和感でした。確かに議会も提案することはあるが先述の通りごく稀な話であり、おまけに3人いなければいけない。1人では提案できない。認識にズレがあると感じていました。
そもそも、議員さんしか市民の意見を反映できないのでしょうか?
という話になると、そうではありません。実際、私も丹波市にきて4年間の間で、ずっと民間の身でありますがいくつもの意見が反映されていると感じています。当たり前の話なので割愛しようかと思いましたが一応書いておきますと、私の個人的な要望ではなく、丹波市政に必要だと思われる意見について、です。
この“地域から市議会議員を出さないと市政に地域の意見は反映されない”という考え方が巻き起こす様々なジレンマについて、市内外問わず色んな議員さんから話を伺っていました。わかりやすく申し上げますと、
“地元から押されて議員さんになっても、市政全体の議員さんになる訳だから、必ずしもその地元の意見を市政全体に反映させられるかはわからない”ということです。丹波市に置き換えますと、丹波市山南町から出馬しても、山南町の議員さんになる訳ではなく、丹波市の市議会議員さんになるので、山南町だけに関係する要望であれば叶えづらいということです。
もちろん、それをなんとかするのが議員の仕事であり力だ!みたいな話もあります。ごもっともなところではありますが、ただ、そうはいっても本筋にはないということは、ちゃんと理解しておきたいところです。
議員さんに何か要望を期待して、もしやってくれなかったとしたら、そのまま泣き寝入るのでしょうか?もしそうだとしたら、どこまで我慢できて、どこまで先延ばしにできる内容なのでしょうか?とも感じることがあります。実現可能性だけを追いかけていくなら、別に誰だっていくらでもなんとでも実現できます。その感触は丹波市にきて確実にあります。
結局のところ、議員さんは20名しかいません。67000人分の20人なので、議員さん1人あたり3350人分の要望を聞けるか?叶えられるか?と問われれば、物理的にも不可能でしょう。予算や優先順位もあるでしょう。叶えたいけど叶えられないのは、行政でも議会でも民間でも、それぞれの立場でもぶち当たる壁だと感じています。
世間一般的に議会と行政は対立する構造であると言われ、なぜか対立しているだけのはずが敵対してるような空気感を感じることもあります。不思議な話で、それぞれの立場から出来ることをやり、それぞれの目的を達成させるべく動いていけるのが理想だと思っています。やれることは、どの立場からでもあるもので、人任せにしない“自治”があるべき姿だと、丹波市にきた時から思っていることです。
◆最後に
今回、色んな人が応援に駆け付けてくれたり陰ながら応援してくれたりしました。
本来であれば応援しなければいけないはずの親戚筋等身内と呼べる立候補者との縁を切ってまで応援してくれた人、絶対に応援にきちゃいけないしちゃいけない立場であろう人、一旦先に応援するという先があったのにも関わらずこっちの応援してくれていた人、等々。
これまでの選挙や政治とは違う何か、“違いを創ろう”とする人達の本気を沢山目の当たりにしました。選挙期間中でも、
『丹波市の未来は明るすぎるやろ!』
と感じていた次第でした。本当に身の回りの支援者のパワーは心強い限りでした。
選挙が終わり、応援してくれていた人達への挨拶に巡っていて、逆に感謝されることもあり。一体何に感謝されているのかというと、
『自分の居場所を見つけることができた。感じることができた。ありがとう。』
という内容の多かったこと。一体何が起こっていたのか、まだ完全に挨拶等も終わり切っていない中でもあり、答えを出せるほど考察しきれていないのですが、何かすごく意義のある何かが、選挙にはあるんだなということが確信できています。
先日、投票率についての記事が丹波新聞さんから出ましたね。20代が39.19%で最低記録を更新。まあやっぱりそうでしょうね。私も丹波市にくるまでは全く興味なかったもんですから。この辺りの課題については、一定の解が見えた気がしております。
ここから先は、是非直接お会いして、話ができればと思います。
本当に有難うございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。民間人として、できることを頑張って参ります。